Posted On 2026年3月1日

マンタス&アバドン 来日インタビュー (VENOM JAPAN)

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Interview&Text&Pix奥村裕司/Yuzi Okumura
通訳川嶋未来

 ’25年11月末、あのVENOMの創始メンバーながら、今は“元”となってしまったマンタスことジェフ・ダンが再来日! 日本人ミュージシャンとのスペシャル・ユニット──その名もVENOM JAPANとして、一夜限りのマニア垂涎ライヴを行なった。
 彼は’23年にも単身来日し、その時はMANTAS SUPER SESSIONという名義で、やはり日本人ミュージシャンとVENOMナンバーをプレイしたのだが、VENOM JAPANはその発展形ということになるだろうか。
 しかも今回は、盟友ドラマーのアバドンも共に来日し、VENOMクラシック・トリオの2/3が揃うことに…! VENOM JAPANのために招集された国内ミュージシャンは、SIGHの川嶋未来<Vo>、ABIGAILのJero<G>、SABBATのGezol<B>、MAGNESIUMのSamm<ds>という面々。全員が全員、心底VENOMが好き過ぎる筋金入りフリークばかりで、よくぞこれだけのメンツが揃ったな…と、マニアならずとも唸ってしまったに違いない。

 ちなみにアバドンはというと、スペシャル・ゲストとして実質アンコール扱いの3曲のみに参加。いやいや…それでも、「こりゃ凄いわ!」とばかりに、ショウ当日は満員の入りで、このためだけに海外から駆け付けたマニア──アジア各国を始め、欧米からも──も多数見受けられた。

 当然ながら、ライヴはガッツリ盛り上がりまくり! 人気曲、代表曲だらけのVENOMクラシックスに加えて、故オジー・オズボーン追悼でBLACK SABBATHの「Paranoid」もセットに加えられ、心臓に爆弾を抱えての再来日となった“漢”マンタスの心意気にも感動しきりなオーディエンスは、みんな歓喜の涙に咽いだことだろう。

[SET LIST:30/11/25@新宿ANTIKNOCK]
1.Intro(SE)~Witching Hour 2.Die Hard 3.Leave Me In Hell 4.Live Like An Angel (Die Like A Devil) 5.Black Metal 6.Angel Dust 7.Seven Gates Of Hell 8.Buried Alive 9.Don’t Burn The Witch 10.Rip Ride 11.In Nomine Satanus 12.Schizo 13.Warhead 14.Paranoid (BLACK SABBATH) 15.Blood Lust 16.Sons Of Satan 17.Welcome To Hell* 18.Countess Bathory* 19.In League With Satan*
   *with Abaddon

 そんな熱狂ライヴの数時間前──何とも濃密なリハーサルを終えてすぐ、ショウ前の貴重な時間をもらい、マンタス&アバドンのインタビューが実現! これまたリハを終えたばかりの川嶋未来が通訳として付いてくれたのも、何とも心強い限り。ただ、取材可能な時間はわずかに30分。しかも、話し始めると止まらない2人が相手だからして、一体どうなるか…と心配していたら、予想通りというか、時間内に訊けたのはたったの5問だけ。それでも、熱い語り口調で色々とキツめの本音も連発され、VENOMという異形の怪物レジェンド・バンドを取り巻く実情に息を呑みつつ、新旧秘話も交えたインタビューとして楽しんで頂ければ…! いや…しかし、ゴタゴタまみれも含めてのレジェンドなのだなぁと、改めて再認識させてもらった次第だ。

マンタス&アバドン 来日インタビュー

▲Abaddon<Ds>&Mantas<G,Vo>

──まずは、今回のVENOM JAPANプロジェクトがどのようにして実現に到ったのか教えてください。


マンタス:’23年に日本へ来て、その時も同じような企画(MANTAS SUPER SESSION)を行なったんだ。その時はまだVENOM JAPANという名前じゃなかったがね。あの時は、ただ俺が来日し、日本の仲間達と一緒にステージに上がり、マラソンのようなライヴをやっただけだ。他にDR PHIBES ELECTRIC WIZARDSという(元ANGEL WITCHのドラマー、デイヴ・デュフォードらとの)別プロジェクトもあったけどね。

 それで、日本を離れる前にプロモーター(UPP-tone music)と食事を共にした際、「また一緒に何かやれないかな? 今度はVENOM JAPANという名義で…」とアイディアを出してくれたのさ。俺は「イイね!」と即答したよ。その時点では、’24年に東京で2公演、大阪と名古屋でも1公演ずつやれるかな…なんて思っていた。ところが、’24年にまた心臓発作を起こしてしまってさ…。だからその時は、凄く残念だったけど、完全に回復するまで日本に行くことが出来なくなってしまったんだ。


 その後しばらくして、プロモーターから「体調はどう? 大丈夫?」と連絡があり、「VENOM JAPANはいつやれそう?」と訊かれたんで、俺はとりあえず、ロゴなどをデザインして彼等の許へ送り、日本への渡航が可能かどうか、心臓専門医のチェックを受けたんだよ。そしたら医者から、「今の状態はベストだ。行きたいなら行きなさい」と言われてね。それで「やるぞ!」と心を決め、(渡航の)日程を押さえたのさ。


 同じ頃、また別の友人から連絡があった。アバドンと共通の友人で、俺は「何が起きているんだ?」と思いながら話を聞いたら、弁護士につないでくれて、何とロンドンの高等法院に行くことになる案件だという。争うことになるのは、(VENOMの)アートワークやデザイン、著作権に関するモロモロだった。正直、関わるべきかどうか迷ったよ。でも、弁護士から(係争相手の)クロノスが何を主張しているか教えてもらって、「いや、それは違うだろ!」ってなったんだ。


 クロノスの証人陳述書は、まるでファンタジーの世界というか、殆ど妄想とも言えるモノだった。どんな陳述なのか、その裁判所に行けば誰でも読めるよ。公開されているからね。何が起きたのか、自分で読めばイイ。でも、ヤツの言い分は本当に信じられなかった。とにかく妄想じみていて…。だから、その全てに反論すべく、俺は俺で証言書を提出したのさ。


 そんな中、ドイツの“Keep It True”フェスの(主催者)オリヴァー・ヴァインシュタインからも電話があってね。「調子はどう?」「まぁまぁだ。悪くないよ」「今は何かやってるの?」「そうだな、曲を書いたり、レコーディングしたりしているよ」といったやり取りのあと、彼が「クレイジーなアイディアがある」と言うから、「ハハハ! まさか、VENOM再結成とか言い出すんじゃないだろうな?」と返すと、「いや、実現出来るんじゃないか?」とのことだった。俺は、「おいおい、無理に決まってるだろ。裁判中なんだぞ!」と思ったよ。


 ただ、アバドンには連絡してみた。「もしウマく解決出来るのなら、また3人で集まって、(デビュー)45周年を祝う形でやらないか? ファンのためにさ」とね。それで、クロノスの共通の友人に連絡を取り、俺の提案を伝えてもらった。でも、返事はなかったよ。その後、クロノス側の弁護士とアバドン側の弁護士が話し合い、「飽くまでもファンのためにやろう。みんなに“ありがとう”と言って、VENOMの楽曲を祝福する形でね。1回きりのショウでもイイから」と、改めてヤツに伝えてもらったところ、クロノスの返答は「俺の時間を割く価値はない」だった。そうなったら、それでもう終わりさ。

 その後、裁判所でクロノスと対峙したことで、俺達は完全に決意した。もう二度と関わらない…ってね。ヤツは法廷で俺の横を通り過ぎる時、「密告者(grass)め…」と言ったんだ──イギリス人ならではのスラングで。俺が証言台に立って、真実を話すと分かっていたからだよ。そして俺は、実際にありのままを話した。


 (アバドンと2人での)“Keep It True”への出演を決めたのは、それから程なくのことだったね。同時に、UPP-tone musicには「(VENOM JAPANとしての)ショウの最後に、アバドンと数曲プレイするのはどうだい?」と提案もしたんだ。勿論、彼等はそのアイディアを気に入ってくれたよ。だからこそ、俺達は今ここにいるんだけどさ。さらには、その(VENOM JAPANや“Keep It True”出演の)決定を受けて、ベルギーの“Graspop Metal Meeting”、他にもチェコやフランス、イタリアからもオファーがあった。’26年はなかなかエキサイティングな年になりそうだな(笑)。

 ここでハッキリ言っておく。俺はかの人物(クロノス)を中傷するつもりはない。でも、俺はバンド創設メンバーで、ヤツはあとから加入したメンバーだ。いや…確かに、ヤツは素晴らしい曲や歌詞を書いた。それは認める。でも“世界”を創ったワケじゃない。だから俺は、VENOMの楽曲を演奏するのを止めたりはしないよ。


 バンド・ロゴに関しては、法的権利を彼(アバドン)が持っている。だから、オリジナルのロゴを使っているヤツ(クロノス)には「止めといた方がイイ」と言っておくよ。まぁ、裁判所の正式な判決が出れば、法的にアバドンが所有者と明記されることになるんだけどさ。


 断っておくが、俺達はバンドの功績をみんなと祝いたいだけだ。それをVENOMと認めたくないのなら、VENOMOUSでも、何でも好きな名前で呼べばイイ。ただ俺個人としては、今の状況を“VENOMの状況”とは呼ばない。何故なら、いま現在VENOMというバンドは事実上、存在していないからだ。今の世の中には。ただVENOMの曲を演奏するバンドがいるだけだ。


 しかし、ここには2人のオリジナル・メンバーが揃っている。アバドンは共同創設メンバーとも言える存在だが、クロノスはあとから入ってきたメンバーだ。そいういう意味では、正当性は俺にあると思っている。それでも俺は、飽くまで自分達が作った音楽、曲をただ祝っているだけなんだよ。


 ’85年のドイツ版『Metal Hammer』誌のインタビューで、「VENOM結成の着想を持っていたのは…?」とインタビューアに訊かれた際、クロノスは「ジェフのアイディアだった、’78年に彼が物事をまとめ始めたんだ」と答えている。それは活字としてちゃんと残されているよ。でも──だから言っているだろ? これはただの“祝福”なんだ。それだけのことさ。


アバドン:え~と…俺もそう思う(笑)。それ以上、何を言えというんだ? このVENOM JAPANについては、「よし、じゃあやるか!」となっただけさ。


マンタス:日本のミュージシャン達も同意してくれたよ。クロノス抜きでやるんだったら、尚さらアバドンを呼ぶ方がイイってね。つまり、最初から“仲間を集める”っていう感じだったんだよ。日本の友人達も含めてね!


アバドン:今回、俺の役割は“アンコール的な感じで出る”といった感じだな。


マンタス:日本のことは──俺はここへ来る度に言ってるし、日本以外の国で受けたインタビューでもそう言ってるけど、地球上で一番好きな場所がここ日本なんだ。本当にそうなんだよ。もしかしたら、特別な縁みたいなモノがあるのかもしれない。とにかく、日本へやって来たらいつも感じるんだ。上手く言えないけど…とても不思議な感覚でさ。初めての訪問は’05年で、成田に降り立って、(空港内の)“WELCOME TO JAPAN”という表示を見ただけでモノ凄く感動したよ。それまでに日本のことを色々と調べてもいたからかな? 本当に素晴らしい。ライフスタイルから何から凄い国だと思う。


 アバドンを連れてきた理由のひとつにも、ここ日本でやれるから…というのがあった。彼とまた一緒にプレイ出来ることを発表する場所として、これ以上、相応しいところはないと思ったんだ。「日本でやるべきだ」ってね。


アバドン:世界を廻っていると、世の中はずいぶんと変わってしまったな…と思うことがある。特に今のヨーロッパは、通りを歩いている人達からして、みんな何かしらのプレッシャーを抱えているように見えるし、ストレスに晒されているようにも感じるんだ。でも日本では違う。みんなリラックスしていて、幸せそうに見えるよ。ベルリンでも、ロンドンでもそうは感じない。いや、ロンドンなんて緊張に満ち溢れている。みんな周囲を警戒していて、襲われないように身構えていて──そんな空気を感じるんだ。


マンタス:いま俺が住んでいるポルトガルも同じだよ。以前、パートナーのアニータと何度も休暇で訪れて気に入ったんで、子供達もとっくにみんな成人して、それどころか孫まで授かったし、「じゃあ引っ越すか」となったんだ。それが10年前かな。今ではとても幸せだよ。森の真ん中の小さな村に、36匹の保護猫と一緒に住み(笑)、家の裏庭には大きな納屋があって、そこにホーム・スタジオを構え、レコーディングも、ビデオ制作も全てそこで行なっている。その村はみんなが休暇で訪れるような場所だけど、俺はそこに棲み付いた。


 ところが、最近ではポルトガルでも、かつては考えられなかったような強盗や襲撃事件がぽつぽつ起き始めている。かつてはのんびりした国だったのに、世界の流れに追いついてきてしまった…というかね。きっと世代の問題もあるんだろうな。そうやって、どこも少しずつ変わり始めているのさ。でも日本はまだ、基本的な“尊敬”のレヴェルが保たれているように見える。


アバドン:そう、日本人には他人を敬う気持ちがあるんだ。


──いや、日本でも状況はどんどん変わりつつありますよ。残念ながら…。


マンタス:でも、俺には“ここは違う”と思えるんだ。若い子達を見ていてもそうだよ。イギリスでは若者の問題が深刻で、そういった状況はヨーロッパ全体にも広がりつつある。


アバドン:今じゃ教師も、いや…親だって、子供を叱りつけることすら出来なくなっているんだ。俺の世代に言わせれば、昔は教師や父親の言葉は絶対だった。規律があるのも、決して悪いことじゃなかったんだよ。

共演コメント [1]:川嶋未来

最高に楽しいライヴでした。40年前に『WELCOME TO
HELL』のLPを買った瞬間のことは、今でもはっきり憶えているし、SIGHも初期の頃は、殆どVENOMのカヴァー・バンドだったし──マンタスとアバドンの演奏で歌えるなんて、これ以上ない贅沢です。あと、VENOMのドラムはアバドンじゃないと…というのを再認識しました。あそこまでクセの強いドラマーってそうそういないですよ

──ところで、今回の公演のセットリストはどのように決めましたか?


マンタス:俺が決めたんだ。でも、どうやって曲を選ぶか…それって難しいんだよ。どんな演目を組んでも、ライヴが終わったあと、ファンに会えば必ず、「あの曲もやって欲しかった」と言われるからね。俺達の時代――NWOBHMの頃のバンドには、みんなが知っている“あの1曲”っていうのがあった。


 ずっと前に、M:PIRE OF EVILのツアーでイタリアにいた時のことだ。プロモーターが次の町まで車で送ってくれたんだが、「今日はオフだから、クラブへライヴを観に行くかい?」と言われてね。それで「行こう」となり、現地に着いたらそこは満員だったな。バンド名は言わないけどさ。


アバドン:TYGERS OF PAN TANGかい?(笑)


マンタス:いやいや、違う(笑)。そして、出演バンドがまさに“あの1曲”を演奏したんだよ。その瞬間、屋根が吹き飛ぶぐらい盛り上がりが最高潮になった。みんなが知っているその1曲が、会場を大爆発させたんだ。全員が知っている曲──そのたった1曲がそうさせたのさ。


 不思議なことに、VENOMにはそういう曲が沢山ある。理由は分からないけど。ステージ最前列で、俺と同じ年齢か…もうちょっと若い大の大人が、「Live Like An Angel」「Angel Dust」といった初期ナンバーを演奏し始めた瞬間、泣き出すのを見たことがあるよ。でも、俺だって同じさ。JUDAS PRIESTのライヴに行って、「The Ripper」をやられたら理性が吹き飛ぶ。「Painkiller」や「Living After Midnight」も好きだけど、もし「Dissident Aggressor」なんて演奏されたら、思わず叫んでしまうだろう。


 KISSだってそうだ。俺が聴きたいのは「Come On And Love Me」や「Strutter」といったところで、間違っても『REVENGE』(’92)頃の曲なんて聴きたくないよ!(笑) ともあれ、そういったバンドは“あの1曲”を山ほど持っていて、次々に繰り出せる。まぁ、VENOMが(PRIESTやKISSと)同じレヴェルにあるとは思っていないけど、それでも俺達なりにファンが「クラシックだ」と認識している曲が幾つもあるんだよ。


アバドン:ああ、そうだな。

マンタス:そんな中の1曲「Welcome To Hell」は、俺にとって初めて書いた曲だった。それまで一度も曲を書いたことなんてなくて、人生で初のソングライティングだったんだよ。試行錯誤はなかった。ただ「このリフ良いな!」「このリフもだ!」って感じだったね。今あのリフを思い付いても、「こんなのダメだ…即、削除!」って言ってしまうかもしれないけど(笑)。


 でもね、シンプルさに立ち返るのも良いもんだ。ある晩、アニータと深夜テレビをぼんやり見ていて、ザッピングしていたら、AC/DCの“Rock In Rio”(’85)のライヴが始まったんだ。アンガス(・ヤング)がステージの前へ出てきて、「Highway To Hell」のあのシンプルなリフを弾いた瞬間、20万人の観客が一斉に腕を振り上げたよ。AとGだ。そのたった2つのコードだけで、あれだけの熱狂を引き出せるなんて──イングヴェイ・マルムスティーンでも誰でもイイけど、まぁ出来っこないだろう。ああいう単純なロックンロールで、あれだけの力強い反応が得られるのは稀有なことだよ。


アバドン:VENOMに関してだけど、もしファン10人に、「好きな曲を2曲挙げてくれ」と言ったら──きっとイギリスでもドイツでも、日本でも中国でもそうだけど、誰一人として同じ答えにならないと思う。勿論、多少カブるかもしれないけど、完全には一致しない。


マンタス:それだけカタログが幅広いんだ。俺の中では、一番は決まってる。いつだって『WELCOME TO HELL』(’81)さ。でも、『POSSESSED』(’85)こそが至高だ…と言ってくれるファンもいる。自分が初めて手にしたアルバムが、そいつにとっての“自分のアルバム”になるというのはよくある。そりゃあ、特別な存在だからな。


 俺だって、他のVENOM作品も好きだよ。ソングライターとしては、年月とともに進化するものだ…とも思う。しかし、どうあっても戻ってくるのは(原点の)『WELCOME TO HELL』なんだよな。但し、「METALLICAは『KILL ‘EM ALL』(’83)以外認めない」「それ以降のアルバムはどれもクソだ!」「いや、デモ『NO LIFE ‘TIL LEATHER』(’82)こそが最高傑作!」みたいなのは嫌いだ。「黙れよ」って思うね。だって彼等は、今もスタジアムを満員にしているじゃないか。努力し、失敗もして、それでも前へ向かって進んできた結果だよ。


 その一方で、AC/DCやSLAYERのように、ずっとスタイルを変えないバンドもいる。彼等はひとつのことを貫いてきた。前にケリー・キングが言っていたよ。「上手くいっているんだから、変える必要なんてない」ってね。でも、俺は違う。今も頭の中には色んなアイディアが渦巻いていて、それを引き出していかないと気が狂いそうになる。昔の曲を再録することもあるよ。でも、(非メタルの)ロック・アルバムも作っているし、女性ヴォーカルとコラボしてもいるし、(クラウドファンディング・プラットフォームの)Patreon向けのインダストリアル・プロジェクトだってあるんだ。


 今頃になって、7弦ギターも手に入れたよ。ギターで何が出来るのかを追求するのって、本当に楽しい。ギターが音楽に与えられる可能性を探ることが、俺は本当に好きなんだよ。そんなこんなで──話を戻すけど、セットリストを決めるのは本当に難しい。今夜のセットリストが、みんなを満足させてくれることを願うよ。

共演コメント [2]:Jero

VENOM JAPANとして、改めて正式なスタートとなった今回のライヴ。リハーサルはなし。百戦錬磨の日本人メンバー達は、10代の頃から還暦近くになった現在まで、脳と鼓膜と五体、己の人生の道標に刻んだ曲を演奏することに不安などなかった。いざ本番も、マンタス師匠のギター・プレイは、我々が幼少の砌より聴き込んできた時より、ずっとソリッドとなり、「The Seven Gate of Hell」のようなメロウな演奏は、人生の積み重ねにより憂いを増していて、ステージで聴いていて涙が出そうになるほどだった。個人的には「Live Like An Angel」で、ギター・ソロのハモりをライヴ再現出来たことが、何より嬉しかった。方やアバドン先生は相変わらずのロック・スターで、あのドタバタなドラミングは未だに健在。気が付けば演奏をしている我々も、お客さんも笑顔に溢れている。悪魔を賛美する男達は、いつの間にか人々を幸せに導いていた。最高の夜だった!

──VENOMクラシックスに加えて、BLACK SABBATHの「Paranoid」もプレイするそうで。もしかして、初期のVENOMでもカヴァーしていたのでしょうか?


マンタス:いや、やってなかったよ。あれは純粋に、オジー(・オズポーン)追悼としてプレイするんだ。でも、もしエース・フレーリーの方が先とに亡くなっていたら、きっと今夜は「Cold Gin」をやることになっただろうね。正直に言うと、個人的にはオジーよりもエースの方が大きな存在なんだ。だから、次回来日時は「Cold Gin」をカヴァーすることになるだろう。でもさ、エースにしても、オジーにしてに、そんなことになるなんて思ってもみなかったよ…。


 そういえば…’80年代のあの頃、ニューカッスル界隈の仲間内では、PRIEST派とSABBATH派にハッキリ分かれていたなぁ。無論、それぞれリスペクトし合っていたし、互いに認め合ってもいたさ。PRIEST派も「War Pigs」や「Paranoid」といった有名曲は当然知っていたし、SABBATH派も「The Ripper」や「Beyond The Realms Of Death」なんかは知っていたハズだ。でも、みんな“自分の本命”があったのさ。そして俺は、ずっとPRIEST派だった。それでも、オジーがHR/HM界にとってどれだけ大きな存在だったか──それを否定することは出来ない。オジーは明らかに“メタル”そのものだった。それで今夜は「Paranoid」をやる。ちょっとしたトリビュートとしてね。


――お2人は、オジー本人に会ったことも…?


アバドン:あるよ。最初の“Kerrang! Awards”(’94)でね。あの頃、オジーは体調がかなり悪そうだった。まるで杖をついた老人みたいだったよ。そんな彼は妻のシャロンに支えられてきた。みんな(シャロンのことを)色々言うけど、彼女はずっと彼を支えてきたんだ。’80年代の時点でも、もうオジーは彼女にケツを叩いてもらってステージに上がっていた。あの時も、「来週には死ぬんじゃないか」なんて思ったぐらいさ。それなのに、それから20年も30年も生き続けたんだから凄いよ。


 彼はまさに俺のヒーローだったね。あと、俺のヒーローにはレミー(・キルミスター:MOTÖRHEAD)がいる。彼はハマースミス(・オデオン)でのVENOM初公演も観にきてくれたんだ。ライヴをやるTV番組『ECT』に出演した際も、GIRLSCHOOLのメンバーを伴って観にきていたな。「何だこのニューカッスルのクソ・バンドは?」なんて言いながらね(笑)。収録後、グリーンルーム(控室/楽屋)にも顔を出してくれたよ。


 オジーも似たような感じだった。「VENOMの何が特別なんだ?」って言ってたな。俺は言ったよ。「俺達は他とちょっと違うだけさ。そして、あんたよりもちょっとだけクレイジーかもしれない。まぁ、それだけだよ」ってね!


マンタス:ヒーローといえば、音楽界…殊にロック・シーンでは、自分のヒーローが老いていくということが実感し難い。今じゃリッチー・ブラックモアが80歳、イアン・ギランも80歳だろ? ロブ・ハルフォードは70代半ばで、グレン・ティプトンも80歳目前で、パーキンソン病とも闘っている。でもファンは、彼等を不死身だと信じてしまうのさ。


 初めてPRIESTを観た夜、俺の人生は変わってしまった。K.K.ダウニングがステージ上を駆け抜けるのを観て、「俺もあれがやりたい!」と思い、すぐにフライングVを買いに走り、髪をブロンドにしたんだ。あの頃、彼等はみんな“神”だった。ステージ上での存在感から、人間じゃないとさえ思っていたよ。とてもとても近寄り難い、文字通りの“絶対的な存在”だね。まぁ、当時はSNSなんてなかったからさ…。


 しかし、何年も経ってから気付くんだ。メタル・ゴッドとはいっても、実は普通の人間なんだ…ってね。ライヴを終えると、みんな楽屋でゼェゼェ息を切らしてる。でも、あの頃は違った。彼等はみんな“神”で、完全にアンタッチャブルな存在だったんだよ。まさにロック・スターだね。


アバドン:俺にとって、生涯最高のバンドはDEEP PURPLEだ。未だにね。そして俺にとっての“神”はリッチー・ブラックモアだ。(’84年に)PURPLEが再結成して、(’85年4月に)カナダのメイプル・リーフ・ガーデンでライヴを行なった際、バックステージで(リッチーに)会えるチャンスがあった。当時、(PURPLEが所属する)Polydorの関係者とコネがあったからな。でもね…俺は尻込みしてしまってさ。客席でショウを観ていて、どんどん思いが募っていったんだよ。「俺には会う資格がない」ってね。

 だって、バックステージを訪ねて、「VENOMのアバドンです」と紹介されても、「誰?」なんて言われたら立ち直れないよ(苦笑)。それに、リッチーは俺の中で“神”のままでいて欲しい…って思いもあった。彼にはずっと“神壇”の上の存在でいてもらいたかったのさ。


マンタス:俺にとってのゲイリー・ムーアと同じだな。いや…彼はもうこの世にいないけど、彼の音楽は永遠だ。


アバドン:そう、映像も残っているし、ファンにとっては、Tシャツにだって、コンサート・プログラムにだって、沢山の思い出が詰まっているんだ。ヒーローは亡くなっても、その作品の中で輝きを放ち続ける。そして、今でも俺達に影響を与え続けてくれてもいるのさ。


マンタス:ああ。みんな俺達の記憶の中で生き続けているよ。

──お2人はVENOM INC.から離れて久しいですが、今後またトニー(“ザ・デモリッションマン”ドーラン)と一緒に何かやることは?


マンタス:いや、もう二度とないよ。絶対にない。


アバドン:ヤツをバンド(VENOM)に入れたのは俺なんだ。初期の頃から助けてきた。マネージャーのエリック・クックと一緒にね。エリックの弟、ジェドがトニーのいたATOMKRAFTのドラマーだったのも関係しているよ。俺達は彼等(ATOMKRAFT)にタダ同然でツアーの機会を与えてやったし、寝る場所も、バックライン(機材)も提供した。連中はNeat Recordsの中でも売上の少ないバンドだったのに、それでも俺達はチャンスを与え続けたのさ。当時のことは、VENOMのツアー・ヒストリーを見れば分かるよ。当時は、ATOMKRAFTだけじゃなくて、NUCLEAR ASSAULTやCRUMBSUCKERSもサポートに付いてくれた。


マンタス:その後のM:PIRE OF EVILでも色々あったよ。このプロジェクトは当初、PRIME EVILと呼ばれていて、俺とドラムスのアントン──クロノスの弟だ──とギターのマイク・ヒッキーで始まったんだ。アントンは俺のバンド、DRYLLでもドラマーの代役を務めてくれたことがあって、そこから関係が出来た。アントンはクロノスと上手くいってなかったから、あの時は「一緒に何かやって、兄貴をビビらせようぜ」みたいなノリもあったよ。でも、もう噂にはなっていたようだ。「アントンとマンタスが何かやるんじゃないか?」ってね。それで、「じゃあ(元VENOMの)マイクも入れよう。もっと面白くなる」となったのさ。


 そこまでは良かったんだ。問題はベース兼ヴォーカルをどうするかだった。それで、俺が「トニー・ドーランに電話してみるか?」と言ったんだ。その時、もう2年ぐらい連絡を取っていなかったけど、声を掛けてみたら、ヤツは「やるよ」と言った。あとになってヤツは、「当時、海外で良い仕事が決まっていたのに」なんて文句を言ってたそうだけど、だったら最初から断れば良かったんだよ。そうしてくれば、他のメンバーを入れることが出来たのにな。


 ハッキリ言う。M:PIRE OF EVILの楽曲はほぼ全て俺が書いた。アルバム『HELL TO THE HOLY』(’12)でベースを弾いたのも俺だ。トニーは「俺が…」と言うだろうけど、俺はロンドン高等法院で宣誓して証言もした人間だ。同じように誓って言える。それが事実だ。その後──俺は(M:PIRE OF EVILからVENOM INC.にシフトして1年ほど経った)’16年初頭の時点で、4回はバンドから脱退寸前になっていたよ。ツアーから帰宅して、アニータに抱きしめられ、「どうだった?」と訊かれた瞬間、バッグを廊下に放り投げ、「もうたくさんだ」と言い放ったことが何度あったか…。言うまでもなく、理由はヤツ(トニー)の振る舞いだ。それ以外に何があるっていうんだい?


 アバドンが(’18年に)VENOM INC.を脱けた時、(M:PIRE OF EVILのドラマーだった)マーク・ジャクスンを戻そうという話があった。その時は(所属レーベル)Nuclear Blastから、「それじゃあ、M:PIRE OF EVILになってしまう」と言われたのに、今じゃ彼は(トニー率いる現行の)VENOM INC.のドラマー(JXN)だ。「結局、何だったんだ? 」って言いたいね。


アバドン:今のアレに“VENOM”を名乗る資格はない。少なくともクラシック・トリオのうち2人は擁しないとね。例えば、俺とクロノス、あるいはクロノスとマンタス、それか俺とマンタス──そのどれかだ。だったら、現行のVENOM INC.は何だ? いやいや、アレはVENOMの曲を演奏しているだけの、ニューカッスルかどこかのトリビュート・バンドに過ぎないね。


マンタス:2度目の心臓発作に見舞われる前、パートナーのアニータが癌罹患を宣告された。のちに誤診と分かったが、俺達は18ヵ月間も不安の中にいて、彼女は今も検査を受け続けている。あの時、俺は「残っているフェス2公演を終えたら家に戻るよ」と言ってツアーに出た。ところが心臓発作を起こし、トニーに「アメリカ・ツアーの後半はマイクを連れて行ってやってくれ」と頼んだのさ。その時、ヤツは多分「自分だけでやれる」と思ったんだろうな。


 そして、(VENOM INC.の)ニューカッスルでのライヴ告知をFacebookで見た時、それが決定打となった。だって、俺がVENOMを結成した地元の町だぜ! それなのにヤツ(トニー)は、連絡すらよこさなかったんだ。だから俺は、「バンドを辞める」と声明を出した。しかし、ヤツからは何の連絡もなかった。電話もない。テキスト(メッセージ)すらね。まぁ、それはそれでイイさ。俺は気にしちゃいないから。


 さらには、俺が自分の曲「Losing My Faith」の30秒クリップをFacebookに投稿した夜のことだ。俺は座ってどんな反応がくるか見ていた。すると、「イイ感じだ」「なかなか良い曲」「早くフルで聴きたい」なんてコメントが次々に付いたよ。程なくして、携帯の画面に通知が出た。「VENOM INC.からブロックされました」とね。ヤツ(トニー)は俺をブロックし、アニータも、俺の娘までもブロックしたんだ。


 でもな、俺は未だにVENOM INC.の通知を受け取っているんだ。だから、全部見ている。おい、もしこのインタビュー記事を読んでいるのなら言っておく。何もかもお見通しだぞ。お前(トニー)の企みも脅しも…全部だ。まったく、小学生じゃないんだからな。校庭で遊んでいるガキじゃないんだよ。もううんざりだね。せいぜいお友達とでも遊んでいろよ。俺に構うな。もう一生話すことはない。俺をナルシスト呼ばわりしたこともあったな? いやいや、今お前に必要なのは(“ナルシスト”の意味を調べる)辞書と鏡だよ(笑)。

──(笑) では、そろそろ時間切れになりそうなので…最後に、VENOMのロゴはアバドンがデザインしたそうですが、当時のことを教えてください。


アバドン:どうやってあのロゴを思い付いたのか…って? あれはロジャー・ディーンにインスパイアされたんだ。当時、ジェフはPRIESTなんかに入れ込んでいたけど、俺はどちらかというとプログレ寄りのファンで、PUEPLEやSABBATHも聴いていたけど、YESなんかが好きだった。ロジャー・ディーンのアートワークは独特で、間違いなくそれがアイディアの元になったよ。


 あの頃、俺はドラム・ライザーを自前で持っていて、その前面を隠すようにロゴを描いた。絵の具と筆で全部手描きして、そのライザーをリハーサルに持っていったんだ。俺はVENOMを“特別な何か”にしようと考えていてね。成功するかどうかは別として、バンドを結成したその日から、プロフェッショナルを目指してやろうと心に決めていたのさ。結局のところ、そこまでは到達出来なかったのかもしれないけど…。ともあれ、あのロゴはロジャーの作品にインスパイアされた。当時の俺がハマっていたタイプのアートだったんだよ。


 考えてみてくれよ。レコード店には何千枚もレコードがあって、その中から1枚選んでもらうには、興味を惹く必要はあったんだ。例えば、MOTÖRHEADには特徴的なロゴがあって、「これ、何て書いてあるんだ?」とレコードを手に取ってもらえることもある。思わず確認したくなるんだよ。VENOMのロゴも「読めない」とよく言われたものさ。


 でも、その後の北欧のエクストリームなメタル・バンドのロゴと比べれば、まだマシだよ。どれも、まるで読めない。でも、「何だコレ?」って、思いがけず手に取ってしまうだろ? そういう意味では、バンド・ロゴの在り方という点で、他のバンドにもインスピレーションを与えたようだな。昨今はさらに酷くなっているけどさ。まるで小枝を森に投げ込んだみたいだったり、壁のヒビ割れみたいだったり、とんでもないロゴだらけになっているから…!(笑)
 

▲終演後、ファンと談笑するアバドン。

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